東日本大震災について思う事

理事長 中山 輝也

東日本大震災が3月11日に発生しました。その被災状況は「想定外」、「未曾有」という言葉で括られています。果たしてそうでしょうか。

長年、平和ボケしていて何ら危機感のなかった日本に、自然災害という外敵が襲いかかってきたのです。

先ず、大地震に誘発され大津波が発生しました。この津波による大きな人的被害、そして原子力発電所の被災。これにより原子炉が損傷し、それに伴い発生した放射能の拡散が、現在、日本国民をもっとも苦しめているのです。

一方、津波による被害は沿岸に沿って深いつめ跡を残しましたが、各被災地すべて一律の被害ではなく、いくつかに分類される被災クラスターからなっていると言ってよいでしょう。

政府が行う復興計画も、阪神・淡路大震災や奥尻島の過去の事例でも多くあるように、大盤振る舞いにより過大になることは避けねばならないと思います。自治体、つまり行政当局が横並びを待たず、定住人口等の将来予測を行ない、躊躇なく速やかに人材を精一杯に活用した災害対応を行わねばならないのです。ここで申し上げるのは、将来、人口は必ず減ることを頭に入れることです。

一方、青森、秋田、岩手、仙台、福島、山形、新潟等の地方においては、日本海国土軸の形成、そして太平洋側と日本海側の相互補完連携のため、さらに大地震が想定される太平洋側の代替機能として、港と道路など、東西を結ぶ密で高度な交通インフラが早急に整備されねばならないと思います。

原発事故については、事故の終息を見ない中で、最近になって各国とも神経質になって日本を注視しているのです。

災害発生から小出しの情報で被害の拡大に慣らされた国民は、この半年の間に放射能が拡散され、今頃、文句を言っている状況です。世界では日本に対しての恐怖心が増幅しつつあるのです。例えば、日本の100kmは中国では5分の1から10分の1の距離に見たてられ、彼らは理屈では絶対値としての距離は納得しているにも関らず、新潟が存在する日本海側と太平洋間が200kmであることにすら恐怖感を持っています。したがって、外国人に理解してもらって来日を促すこともそう簡単にはゆきません。貨物船の船員すら寄港したくないと言っています。国内の風評被害もさることながら、外国人に対しては本当に大変です。それでも原発事故からいくらかは遠い西日本より、観光での来日で回復の兆しがありますが、一刻も早い原発の「封じ込め」がないと本格的な回復は不可能です。

これから国民負担としての増税が始まります。増税に頼らず、本来はデフレ・円高を利用し活性化してゆくことが可能だと思いますが、またしても騙された感じです。

それにしても気になることは仮設住宅での一例です。仮設は寒冷地仕様でないため寒くて大変だそうです。恐らくマスコミがあおったものと思いますが、二重窓やさらなる防寒が必要だそうです。ある大臣が“仮設は仮設だ”と言っていましたが、精一杯の表現でしょう。同じ寒冷地でも中越・中越沖地震で被災した我が県民はそんなことなど言わず、窓辺の結露を拭きながら「唯々、有難い感謝の気持ちでいっぱいです」と言ったことを思い出します。

十年程前、黒龍江省で大水害があり訪ねた時、日本からこの種の仮設住宅が何百戸と建設されていましたが、誰も住まず新品の状態でした。マイナス20度~30度位のところへ通常の仮設住宅を持込むこと自体、無理があったようです。黒龍江省政府はこの厄介ものの処理に苦労したようです。

生活が高度化し、人間が軟弱化してゆく中で、温暖地域と超寒冷地の仮設住宅は区別すべきだとは思いますが…