コロナ禍の中で

理事長 中山 輝也

中国は躍起になって否定していますが、中国から始まったコロナ禍は世界を制覇しつくしたような状況であり、何としても、その終焉に向けて努力せねばなりません。

コロナについては守らねばならないことが沢山ありますが、皆さんも充分理解されていると思いますので、ここでは触れないことにします。

そこで、新しく用語になった〈三密〉と〈マスク〉についてお話したいと思います。

仏教、それも真言宗智山派の昨年の12月のカレンダーに「どうぞ来年も〈三密〉を清らかに保ち、素敵な一年をお過ごしください」とありました。

決してコロナ禍を予想してではなく、悟りを開くには元々「体」と「言葉」と「心」の〈三密〉を清らかに保つこと(三密行)が大切だとあり、この行いが「生きる力」をはぐくむとあります。これが従来の〈三密〉ですが、残念ながらコロナ禍の今では、全く別の意味に使われています。早急に本来の三密が復活することを望まずにはいられません。

さて、マスクについてですが、コロナ禍になる前までは、マスクについて次のようなことを言っておりました。

『会社は、病院ではないのだぞ!
マスクの効用、他人が見た印象。職場は感染病棟ではありません。官庁民間企業などでも、お客に対面した時は外します。埃や塵の中の仕事などは別で、病気の時は仕方ないですが、それでも限定されます。しかし、健康であれば上司の前では、最低限のマナーとして外すべきです。とても非常識に感じます。マスクをするなら「治るまで出勤するな」と言いたいです。』

つまり、本人にそのつもりが毛頭なくても、他人から「病気ではないか」と誤解を受けかねないのです。「マスク美人」などという、うぬぼれもあると聞きます。また、「自己逃避の一つ」と言う人もいますので、気をつけなければなりません。

ここまでは一般的なことですが、コロナ禍になってからは通用しません。「とにかくマスクをしてください」とお願いしているところです。

新型コロナウイルスの感染拡大でも、米国ではマスクは普及しないと思いましたが、令和2年4月下旬の世論調査で、約7割の米国人が外出時にマスクをすると答えました。ワシントン周辺のような都市部では、今やほとんどの人がマスクをしています。

米疾病対策センターが「健康な人には必要ない」の指針を一転、着用を推奨しはじめました。しかし、トランプ大統領が「あくまで任意だ。私はしない」と話し、その後もマスクをする姿はみられません。この国には、マスクに根強い抵抗や反感があるのです。

米国では顔の一部を覆うことは、「自分を弱く見せる」「何かにおびえているように見える」など、弱さの象徴だと考える人が多く、自己逃避にも感じます。一方、「権力の指図を受けない」という独立心も、理由に挙げられるかもしれません。

米疾病対策センターの新指針を受けて、各州知事らは、公共でのマスク着用を義務化の動きを強めましたが、共和党支持者は反発しました。保守系団体も加わり、全米各地に広がった、外出制限への抗議行動とも連動。「経済を再開せよ」と叫ぶ抗議行動を、トランプ氏は明確に後押ししました。「マスクなしがトランプ氏や共和党への支持の証しだ」との暴言も。

マスクへの抵抗感は、人種差別の歴史にもあります。白人至上主義のKKKは、白い三角頭巾をかぶります。この活動を抑えるため、南部は公共の場での頭巾やマスクの使用を禁じています。州の知事たちは、コロナ禍対策のため、マスク着用を法律の対象外とせざるを得なかったのです。

黒人や中南米系には、マスクは人相を隠そうとする犯罪者だと疑われるので、着用をためらう人もいます。しかし、マスク着用はコロナ感染を抑える行動だと言わざるを得ません。

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それにしても、日本では問題はなく、電車の中や店内を含めてもマスク着用率は、ほぼ100パーセントです。やはり日本人は優等生と言わざるを得ません。

極めて厳しい状況ですがコロナ禍の早急な終息を願うとともに、今年も皆さんにとって素敵な年でありますことをご祈念申し上げます。