渋沢栄一から学ぶこと

令和2年4月1日 理事長 中山 輝也

新しく一万円札に、渋沢栄一がデザインされることになりましたが、渋沢栄一は近代日本の資本主義を実施した偉人だといえるでしょう。そんな渋沢栄一から学ぶことが沢山ありますので、気づいていることについて述べたいと思います。

平成22年末、ニュージーランドのオークランドの空港で「渋沢栄一賞の受賞が決定」とのメールが届きました。

この賞は、日本近代経済社会の礎を築いた渋沢栄一を顕彰するために設けた賞で、埼玉県が渋沢栄一財団と立ち上げ、全国ブランドの賞として通用し、渋沢栄一の生き方や功績を発信するとともに、渋沢栄一の精神を、今に受け継ぐ全国の企業経営者等に贈られるものです。

受賞など、考えもしませんでしたが、他に人がいるはず、と思うと、気恥ずかしさが先にたちました。

今まで全国各地でこのような賞が流行するが、長続きしないものが多いです。

新潟市の「安吾賞」も、高額賞金のうえ、著名人対象で、一般受けせず全国ブランドにはなりませんでした。せめて「坂口」の苗字をつけたら、イメージアップに繋がったと思うのですが。

授賞式で、上田清司埼玉県知事から「受賞者の皆さんは功成った方で、賞金はありません。賞状のほか岩槻特産の日本人形と、渋沢栄一の七言絶句の額を差し上げ、埼玉県産日本酒で乾杯します」とおっしゃった。地域振興の原点を上田知事から教えられました。

なお、渋沢栄一は、1927(昭和2)年、日米人形交流を行いましたが、人形は岩槻産でしょう。副賞の「武州藍」と同じ藍染で作った「七言絶句」額は、渋沢栄一が、1929(昭和4)年、数え90歳の正月に自作した七言絶句です。

「義利何時能両全」と、いずれの時か、よく、ふたつながら、全うせん

「毎逢佳節思悠然」佳節かせつうごとに、思い、悠然ゆうぜん

「回頭愧我少成事」こうべをめぐらして、わがしたることの少なきを

「流水開花九十年」流水、開花、九十年

「義」すなわち「道徳」と「利」すなわち「営利活動」とは、いつか必ず両立する日がくると、努力した「道徳経済合一説」に対する信念を、謳っています。

第2句から第3句は、正月の良き日が巡りくる度に、ゆっくりと思いをめぐらせ、行ってきたことがいかに少ないか、恥じ入るばかり、と感慨にふけっています。第4句では、年々、水が流れ、花が開き、年月は過ぎて、はや90年と過去をさらりと詠みました。まさに「渋沢栄一」が目指した生涯の詩、と考えてられます。

受賞後、平成25年、会社の創立40周年で、渋沢栄一展を企画展として知足美術館で開催するとともに、講演会を一般向けに行いました。

企画展は、渋沢史料館の協力を得て、渋沢史料館の資料を展示して、渋沢栄一への関心の高さ、新潟では珍しさもあって好評を博しました。

講演会は、渋沢史料館館長井上潤氏を講師に、新潟市のだいしホールで、250名の入場者に、渋沢栄一の偉業を発信することが出来ました。

公益の追求者として 渋沢栄一が生涯かけて貫いた努力 ―― ①株式会社組織により、多くの人々の知恵と資金を集め、道義に則った、活発な企業活動を展開して、豊かな社会を実現する②国境を越えて、自由で活発な市場経済を実現し、人類全体を豊かにする③市場経済の中で、取り残されがちな弱者を支援する社会福祉や、社会の基盤として大切な教育にも力を入れる ―― こうした渋沢栄一の視点は、現代に通じる新しいものです。

渋沢栄一の地方振興の考え方は、地方には真に国家の元気の根源があり、中央の繁栄は地方の振興によってと説いていますが、現在は果実が中央に独り占めさせる中で一概にすべて肯定は出来ないのです。現在でも通じます。個人の豊かさとは、国家の豊かさ、個人が豊かさを求め、国が豊かになってゆくことです。

一方、教育・文化の整備の必要性も説き、国づくり人づくりのため伝統の維持、模倣から創造へ、と述べています。

少子高齢化、人口減で地域が疲弊し、すさまじい情報技術の進歩で従来の価値観が失われている今こそ、「共存同栄」の精神で、皆で力を合わせ新たな道を開拓する心構えが必要なのです。

上田清司埼玉県元知事と日本人形

七言絶句額を渋沢雅英渋沢財理事長より頂く

好評を博した井上潤 渋沢栄一記念館長の講演(新潟市第四ホール)

渋沢栄一展の展示(知足美術館)

知足美術館「渋沢栄一展」DM(青い目の人形をもつ渋沢栄一)