古稀を目前にし / 居住者様の寄稿

居住者様の寄稿

私の勤務する会社へ自転車で通う途中、千歳大橋を渡り終える左手前に内部が丸見えの新潟C病院の食堂がある。そこに見られる患者の皆さんは我が知足荘同様、殆どがお年寄りで、男女の数はほぼ半数ずつというところか。そこを通る度に、いつも(あの方々も知足荘同様、一人一人他人には話し難い過去と現在の生活があるのだろうな。)と思ってしまうのである。「衣食足りて礼節を知る」これにもう一つ、住を加えると正に知足荘から頂く人間の生活環境の理想を具現化する格言になる。尤も私自身は果たして礼節を知って、これを実行しているかどうか、と考えると甚だ心許無く、内心、忸怩たる思いをしている、というのが本音なのであります。

夕食に自分の好き嫌いを優先させて、今日はラーメンが食べたい、となるとハウスのご迷惑も考えず欠食したり、心ならずも他の居住者の方と口論をし、挙句の果てにエスカレートして口喧嘩になったりして、居住者の心得にある、これをしてはならないということをうっかりやってしまい、こんなことだと俺は今に四面楚歌か、ハ面楚歌、いや、世の中から総好かんをくらってしまうぞ、と痛感しながらも、どうにも押さえられない自分を嫌悪してしまう、という悪循環を繰り返している。

一昨年の七月に私がこのハウスに入れて頂いた時には六十六歳になる二ヶ月前で、すでに前期高齢者の仲間入りをしていたことで当ハウスのご老体の方々と、一つ屋根の下でうまくやって行ける自信らしき物もいくらかは有ったが、いざ入居してみると、そんな自信は物の見事に吹っ飛んでしまった。流石、私如き弱輩者がどう逆立ちしても、足元にも及ばない甲羅を経た方々ばかり。旅行が好きで、見聞きすることをすべてご自分のものとしてしまう方。俳句や短歌を土台、あるいは趣味としてご自分を確立される方。

辞を低くしてわからぬことをお聞きすれば即刻調べて教えて下さる方。プロとは言え、経本一つ持たずに、私などのわからぬお経を最初から最後まで澱みなく唱えられる方。パズルを趣味とし、そこから種々の知識、教養を会得される方等々、数えあげれば枚挙に遑がない方々ばかりで、私なども大いに刺戟を受けたつもりで、学生のころからやってきた英語や漢字のブラッシュ・アップを試みるのであるが、やはり自分でも気づかぬ内に老化が進んでいるのか、労多くして効少なし。間も無く古稀に手が届くというのに、日暮れて道遠しというところであるが、せめて六十、七十代くらいで鬼籍に入ることなど無いように、衣食足りて礼節を知る、を守って残りの人生を全うして行きたい、と思っている。