カラオケ礼賛

居住者様の寄稿

知足荘では、カラオケ練習会を月2回行っている。私は、カラオケで歌うことが好きなものであるから、何時も出席して楽しませて貰っている。

カラオケは不思議な道具である。エコーを効かせてキー(音程)を合わせて歌うと、生で歌うより何倍も上手く聞こえるのである。どういう仕組みになっているのか、私には判らないが兎に角楽しい。カラオケの語源も定義も私はわからないけれど、歌うのは、小唄、俗曲、詩吟、民謡等ではなく、演歌・歌謡曲(流行歌と云われたこともある)の類であり、抒情歌、童謡、フォークソングも含まれているように思われる。

「歌は世につれ、世は歌につれ」と云われるように明治、大正は遠くなったけれど、昭和は戦争に負けたとは云え、異常なほどの経済発展を遂げて、国力が大いに伸びた時代である。流行歌も次から次へと沢山の名曲が世に出て、人々に楽しまれてきた。テレビも紅白歌合戦、のど自慢、懐かしのメロディ、日本のうた等、毎日のように歌番組を放映している。夫々に、懐かしい想い出と共に知っている歌、聞いたことのある歌は沢山あるのである。遠慮しないで、カラオケのマイクを握って歌ったらよろしい。ストレス発散、ぼけ防止にもなる。毎日の楽しさが倍加される。

「年を取ったら、声がでねぇて。」「出さんば出ねこてさ。出せば出るようになるてぇ。」水道の蛇口も捻らなければ、水は出ない。そのうちに錆びついてしまうのである。知足荘のカラオケ練習会に出てきたらよろしい。だんだん声が出るようになって、楽しくなること請け合いである。

私の若いころの酒席では、佐渡おけさ、新潟小唄、三階節など、先ず民謡を手拍子で歌い始めるのが手順のようであったが、今では、お座敷でも舞台でもカラオケが置いてある。カラオケが急速に流行りだしたのは、昭和40年頃かと記憶している。カウンターのある飲み屋で、美空ひばりの「悲しい酒」や「柔」を歌っていた頃のことが想い出される。三波春夫の「大利根無情」が十八番で、台詞入りでよく歌ったものである。歌は良い。そして夫々に想い出がある。

総じて演歌は歌詞がよい。心に秘めたことを歌に託して表現する手法は、万葉の昔から今に続いている。人生の哀歓を唱う歌詞は、夫々に感じ入るものがある。口に出しては云へぬ恥ずかし気な言葉でも、歌ならいくらでも口にすることができる。

「人の振り見て、吾が振り直せ。」と常々云っていた母のことは、森進一の「おふくろさん」を聞くときに何時も心に浮かんでくる。都はるみの「夫婦坂」は一昨年逝った家内が、台所仕事をしながらよく口ずさんでいた。家内が集めた清水フードのポイント券で、二人で新潟テレサに出かけ、「石川さゆりショー」を観に行ったこともある。彼女の「天城越え」はその歌唱力、演技力とも素晴らしく天下一品である。先日、テレビで「フランク永井特集」があった。一緒に「有楽町で逢いましょう」を口ずさんで見た。

幸せは足るを知ることから始まる。不平、不満、不足は云わない、思わない。欲張らないで何事もこれで丁度良いのであると思へば、幸せな老後を送ることができる。明日は、「明るい日」と書く。カラオケでも歌って、心豊かに、にこにこ笑顔で、今日一日を、元気に過ごしたらよろしい。私は、この10月で86歳になった。カラオケ大好き人間である。カラオケに乾杯。拍手。