一.中国黒龍江省での出来事(三題)

理事長 中山 輝也

中露国境を俯瞰しながら地域同士の
日中友好親善を現地中国人と誓う。


(1)平成16(2004年)4月のことですが、黒龍江省のある地方での話です。かつて綏芬河市副市長を経験し、現在は政協委員会副主任となっていた薫洪憲さんが民間人である私に「遠来の客だ。熱烈に歓迎したい。私は過去の人間だが・・・」。一見ロシアの血が混ざっているようにも見える彼は、「貴方のような人を接待するのは嬉しい。初めてお会いしたのだが、貴方は素晴らしい日本人だと思う」そして「貴方は飾り気がないし、素直な人だと思う」と言いました。「どうして」と問うと、私の髪を見ながら「貴方ぐらいの年齢で活躍しているのに髪を染めていない。私は、自分を飾ったり、装う人間は嫌いだ」、「人はありのままで、それで良いのだ」。真昼の白酒を注ぎ合い、瓶を空にして、野外に出てロシアの国境の標識を挟み、ロシア方向を見渡しながら、「北東アジアの平和のため、中国、日本ともに努力しよう」と二人で誓いました。さらに、「貴国の小泉政権と我が政府の関係がおかしくなっているが、地方にいるものは関係ない。地方は地方であり、中国とくにこの土地へ来て日本人は小さくなる必要はない。戦前は、和気藹々、ここでは現地人と日本居留民も共存していたのだ。日本人が本当に悪者ばかりだったら残留孤児など存在しなかったはず」と言いました。黒龍江省では、こんな感覚の人が結構多いようです。

(2)平成23(2011)年7月に中国で新幹線(高速鉄道)事故が起き、丁度、この時私は、黒龍江省の片田舎の県に滞在していました。現地の県政府の党主任は私を大切にしてくれ、夕食のみならず、朝食まで共にしてもらいました。
 朝食の席で党主任が「お陰で中国の経済成長は目標近く成し遂げられてきているが、今朝のテレビでご存知の通り、科学技術の分野では、未だそこまで行っていない。日本の専門家の皆さん、これからも中国のためによろしく」と言いました。次の県でも同じことを言われましたが、中央政府からこのようにせよと伝達があったのでしょう。こんな謙虚な言葉には、何となく惹かれてゆきます。

中露国境を俯瞰しながら地域同士の
日中友好親善を現地中国人と誓う。


(3)平成25(2013)年尖閣列島国有化された日、哈爾濱の大衆食堂「東方餃子」で食事をしました。小部屋がなく大部屋になりましたが、脇のテーブルで、屈強な大男が、五、六本の哈爾濱ビールの栓を抜き、自らはジョッキを持ち飲みながら、こちらを睨んでいます。
 何か起きなければいいがと思った瞬間、給仕を呼び日本人であるかどうかを確認しました。その直後立ち上がり、ジョッキを片手に、さらに栓を抜いたビールを持ち近寄ってきました。そして、「今、政府間では厄介な問題を抱いているが、貴方達は中国、哈爾濱まで来たお客だ。不愉快なことを味わっては駄目だ。俺のビールを飲んで友情を深めよう!」と言う。びっくりしましたが、中国の中部や南方と異なり哈爾濱ではこういう人が普通なのだろうと思い、和んで皆が頂戴したビールを楽しみました。その男性も、満足そうに付き合ってくれました。
 皆がずっと抱いてきた本当の意味での日中両国の友好親善黒龍江省では芽生え、そして成長してきたものと感じました。