理事長の「海外でのこぼれ話」

―黒竜江省綏芬河市(スイフンガ)市民の対日本人観―

中露国境にて、地域同士の日中親善を現地中国人と誓う

中露国境にて、地域同士の日中親善を現地中国人と誓う

かつて黒竜江省スイフンガ市副市長を経験した私と同世代の老幹部が、通訳を介して「あなたを接待することは嬉しい。初めてお会いしたが、あなたは素晴らしい日本人だ」そして「飾り気がないし、素直な人だ」という。「どうして」と問うと、私の髪を指さしながら「我々の年齢で活躍しているのに、髪を染めていない。自分を飾ったり、装ったりする人間は嫌いだ」「人はありのままで、それが人なのだ」。昼に白酒
を注ぎ合い、瓶を空にして「両国のため努力しよう」と誓った。

さらに「政府間の関係がおかしくなっているが、地方は関係ない。この地へ来て、小さくなる必要はない。かつてここでは、和気あいあいと共存していたのだ。そして日本人は一生懸命努力していた。日本人が悪者ばかりなら、残留孤児など存在しない」と言って、自信を持っていた。(2004年4月)

―オー、ソノ「せせらぎ」―

台湾の人達と入浴を楽しんだ露天風呂

台湾の人達と入浴を楽しんだ露天風呂

北投温泉のニッパヤシ葺きの湯船で、台湾人達が総立ちでこちらをにらむ。「手ぬぐいを湯に入れるな!」と日本語。「タオルなんか入れない」と言うと、「バカを言うな。昔は手ぬぐいを入れてたぞ。」と言う。今の日本の話をしたら解ってくれたが、日本時代の記憶が鮮明なのだろう。熱い湯の中で打ち解けてくる。一人が突然、軍歌を歌いだす。次は、教育勅語を怒鳴る。その後は習った小学校唱歌の合唱だ。年は70代、肌が若いので「どうして」と聞くと、「今も現役だ」「日本の教育で勤勉を学んだ」と言う。「オマエ、ちょっと」と外へ誘う。「これを何と言ったか」と聞かれ、「渓流?」「違う」。さらに「小川?」「違う」。「せせらぎ」と答えたら、「オー、ソノ『せせらぎ』」と言って大はしゃぎ。 熱い湯と古い台湾人の心に触れ、湯を後にした。

新潟へ定期に近いチャーター便が就航した。この世代の台湾人達が元気なうちに、交流の輪が広がるよう願うものである。(2006年4月)

―遠来の客を歓迎―

哈爾濱市東方餃子店で屈強な男性がたばこを吸いながらビールを片手ににらむ

哈爾濱市東方餃子店で屈強な男性がたばこを吸いながらビールを片手ににらむ

2012年、この年9月に日本政府は尖閣列島国有化をおこなった。その日たまたま哈爾濱市の「東方餃子」夕食をとっていると、脇のテーブルで屈強な大男がビールの栓を抜き、大きなジョッキを持ってこちらをにらむ。何か起きなければいい、と思った瞬間、女性服務員に私たちが日本人であることを確認し、ジョッキを片手に近寄ってきた。そして「今、両国でやっかいな問題を抱いているが、あなたたち日本人は哈爾濱に来たお客だ。俺のビールを飲んで楽しんでくれ!」と言う。びっくりしたが、哈爾濱にはこういう人が多い。和んで、遠慮なく頂戴した彼のビールを楽しんだ。(2012年9月)

―遠くの国での話―

両端はドロルス・ジュニエント夫妻、中央中山夫婦

両端はドロルス・ジュニエント夫妻、中央中山夫婦

11月にバルセロナを訪れた。現代スペインの彫刻家・画家のリエラ・イ・アラゴの作品を収蔵しているミロ美術館に立ち寄った。展示はなかったが館の学芸員は、作品を見たければ市内中心部の美術評論家ドロルス・ジュニエント氏が経営する「ガレリア・デアルト」に行けと言う。油彩が数点あり、その中の1点に惹きつけられた。遠来の客なので4千ユーロでよいという。現金の持ち合せはなく、カードは機械の故障で読みとれない。諦めて退出しようとしたら、画廊の上品な老夫婦は嬉しそうに手を握り「代金は帰国後でよい。作品を持ち帰るように」と。何とも爽快な気分だったが、私個人の信用ではなく、戦後70年間培った日本への信頼なのだ。こんな爽快さを今年も味わいたい。(2015年11月)

―モンゴル国で亡くなられた抑留者への慰霊―

慰霊碑参拝((公財)新潟県国際交流協会理事長として)

慰霊碑参拝((公財)新潟県国際交流協会理事長として)

時折モンゴル国へ出掛ける際は、線香と供物を持参する。何故?日本が敗けた1945年、ソ連が抑留した将兵のうち、1万人をウランバートルへ移送、過酷な条件の中で1,600人が死亡。抑留者は建築現場で、床板の裏に秘かに望郷の想いを書き残したという。近年、日本の協力で発展が進む中、慰霊碑も整備されたが、訪れる日本人はそう多くない。時間がなく、参拝なしの帰国は、それこそ後ろ髪を引かれる。
今年で終戦70年、生き証人の存命も限界だ。事実を後世へ引き継ぐためにも、蒼き草原を楽しむ合間に、亡くなられた同胞の慰霊に一時を加えてほしい。(2016年9月)

―ザイサンの丘で―

ザイサンの丘、頂上の塔

ザイサンの丘、頂上の塔

首都ウランバートル市全体を見渡せる「ザイサンの丘」は、一大観光ポイントだ。今は、300段余りの階段を登る気にはなれない。

日本と友好的だが、記念碑には日本をおとしめる絵が残る。旧ソ連の隣国として仕方がないが、つい先日同行した時も登らず下で待った。

そこで、聞きなれない会話が耳に入ってきた。韓国とアクセントが少し違う。若い彼らは黒い革のジャンパーや作業服をキチンと着て、実に陽気で、大声で話す。露店の毛皮の帽子を被り大はしゃぎ。店の若い女性は、買わないので迷惑そうだが、あきらめ顔。

たぶん、北朝鮮の技術か技能者なのだろう。経済制裁の中でも交流は盛んのようだ。

先日、ロシア大統領を歓迎したモンゴル国。苦しい中での選択だが、内陸国が生き残るための行動に、法治と基本的人権の自由主義国はどうすべきなのだろう。これも今年の課題の一つだ。(2007年8月)