寒波をかいくぐって、南極大陸へ行きました
今年の1月、2月は積雪も多く、本当に寒い毎日が続きました。
それを予期して逃避したのではありませんが、私の人生の最後かもしれないのですが、新潟を離れて、はるか遠くの最果ての地、南極大陸の一部を垣間見る旅に出掛けました。
季節は日本とは真逆です。南極は、12月から2月にかけての時期が氷を溶かす盛夏なのです。外気温は新潟と同程度です。したがって、寒さはそれほど苦にはなりません。
日本と南米大陸の南端ウシェアイアの往復で航空機を2回乗り換えて5日間をかけ、つまり成田、ドーハ(カタール)、ブエノスアイレス(アルゼンチン)、ウシェアイア(アルゼンチン)を航空機で経由しました。
それから船旅でした。海流の速い大荒れのドレーク海峡を往復5日間かけて、片道約700キロメートルを往復し、さらに南極半島に近づき、それから周辺をクルーズしながら、ところどころ上陸する旅です。
フランスの1万トン程の結構、豪華な客船です。乗客50人を1組とした4グループ編成の199人で、そのうち4分の1が日本人です。なお南極は人数制限があり、本来の船の定員は267人でした。
夜は、南極に関する講座や、娯楽のパフォーマンスダンスパーティが連日行われておりまして、退屈はしませんでした。
上陸は午前、午後とも2時間以内だけ許され、環境保全のため放尿などもってのほか。その必要性があるときは、船へ戻るのです。
ペンギンなどの動物たちには、5メートルまでの接近が許されますが、すぐ側でも逃げません。人間という彼らにとって無害の新動物が仲間に入ったような感じなのでしょう。彼らが寄ってきて、近寄りすぎて接触することもありました。
南極には、第2次大戦前から、かつて領有権を主張していた列強が入り込み、沢山の基地を南極につくりましたが、イギリスなどはもてあまし、ウクライナなど他国へ基地を売却しました。さらに不要となったものを夏季(11月〜2月)のみ開放して博物館としておりました。
イギリスの旧い基地「ポートロックロイ基地」そのものが博物館となっており、そこでは過去の調査や探検の歴史を知ることができました。
平屋建て木造の古い建物ですが、そこに夏季だけ職員が駐在し、郵便物(ハガキ)を世界中へ1ドルでの発送までできるポストもありました。
ここを見学して南極探検の先輩国イギリスの過去の歴史を学び、帰りに、わざわざ運んできた絵ハガキやキーホルダーなどの小さなお土産(数に限りがありました)を買って、ソデアックボートに乗り、さらに本船に戻ります。
この売り上げは、1個が少額ですが、収益を環境保全を含め、施設の運営費にあてるのだそうです。
海や陸ではペンギン4種類、アザラシ、オットセイ、盗賊カモメなどは常時遭遇しますが、稀にザトウクジラ、ミンククジラ、シャチなどにも近くでお目にかかることができました。
最大量60億トンという無尽蔵のオキアミは、豊富なプランクトンを餌とし、さらにオキアミをペンギンやアザラシが大量に食べ、それらの動物がさらに大型動物のシャチやクジラなどが、南極独特のフードチェーンが見事に成り立っているのです。
なお、余計なお話ですが、経由地アルゼンチンの首都ブエノスアイレスは40年前訪れたことがあり、懐かしさも手伝って、ボカ地区の古い港町の中のカミニートを訪ね、タンゴの曲「小径」が生まれた雰囲気を楽しみました。
夜は、やはり40年前に訪れた本場タンゴの生実演を聴き、本場の素敵なパフォーマンスに酔いしれました。
気候が急に変化するため、旅行中の体調を心配して出発したのですが、何事もなく、長いようでしたが、なんとなく、短く感じる楽しい旅でした。私の遠出は、これで最後とな
るかもしれません。