私と俳句との出会い

居住者様の寄稿

私が当所に入居してこの秋で、四年を迎えます。入居当初は、食堂への往復に、車椅子を利用していましたが、今では杖歩行も可能となり日常の生活も殆んど不自由なく暮らす事も出来るようになりました。私のリハビリの姿勢の根源は気力に欠くこと勿れが、間違っていなかったと、更にリハビリに励んでいます。しかし、脳梗塞のマヒは私が思っていた程、簡単に回復するものではないと自覚しリハビリも大切であるが自分が障害者になった現実を認め、今の自分に何が出来るのかを考えた結果、出来ない事は他人の力を借りる以外に道は無いと悟り、少し肩の力が抜けて精神的に余裕を持てる様になりました。

今では施設の職員各位の誠意ある支援によりここ迄回復出来た事を素直に感謝する事が出来る様になり、又、私の気持ちを察するかの様に知足ヘルパー制度が発足し、利用させて頂いて居ります。まさに痒い所に手が届く様なサービスを提供させて頂き、私はこれによって得た時間的余裕を何に活用すべきか思案した結果、入院中に言語リハビリの担当者から、脳の活性化には、俳句等の創作が良い事を思い出し、以前からいたずらに下手な句を作って遊んでいたので、今度は本格的に取り組んでみようと思い立ち散歩の折々に花を摘んで下手な絵を描いて楽しんでいると、自然に詩心が湧いて句が出来ました。

私の第一作は「野の花は我がリハビリの善友なり」です。私が、俳句を作ろうと思ったきっかけは、入院中に読んだ小説「燃えよ剣」の主人公の新選組の鬼副長と恐れられていた土方蔵三が俳句を作っていた事を知りあの武骨者の蔵三が出来るなら私にも出来ると云う程度の単純な動機です。ちなみに彼の句とは「知れば迷う知らねば迷わぬ恋の道」です。ほほえましくなる様な句ではありませんか、人には意外な一面があると彼にひかれて私も句を作る様になりましたが、私の師匠は新選組の土方蔵三と云う事になります。私も彼に負けない、ほほえましい句を沢山作りたいです。

此の度、幸いにも安井参与の呼びかけで同好会を発足する事になり、私も発起人として、名を連ねさせて頂いて居りますが私自身はとても人に教えるキャリアも能力もありませんが、私が俳句を作っている姿を見て私も作ってみようと思って下されば心の支えになります。思い立ったが吉日、1人でも多くの参加を御待ちしています。